移り変わる
私は大変疲れやすい人間だと思う。
というより、疲れになかなか気付かない割に体力はさっぱりないので、気が付くともう手遅れなくらい疲れているのだ。
疲れを自覚した頃にはすっかり疲れきっているのでもう寝るしかない。
そして一度眠りだすと起きない。普通に18時間くらい連続で寝てしまう。起きると夕方である。
長く眠っていると長い夢を見ることがある。大抵起きるとすぐに忘れてしまうけど、しばらくはおぼろげに覚えていることもある。
夢というのは不思議なもので、劇場にいたはずが気付いたらホテルになっていたり、何か動物を追いかけていたはずが迷子を背負って保護者を探していたり、状況も目的もいつの間にかすり替わってしまうことがよくある。
夢を見ている時間が長いから、脳が直前のことをすぐ忘れて違う状況を作り出してしまうのかもしれない。
そして夢の中以外でも往々にして、気が付いたら何かがすり替わってしまっていることがある。
それは目的であったり、やりたいことであったり、感情であったり。
「空の絵を描いていたつもりが海みたいになってしまう」ようなことがいつも繰り返されている。
初志貫徹は美しいけれど、海のようになってしまったのをそういうものとして開き直ったほうが無理やり空の絵に戻してしまうより良いことだってきっとある。
変わっていく気持ちを無理に戻すよりもそれはそれとして受け入れて、流されてみるのもひとつの生き方だ。
もしかしたら前よりもっと素敵なものに変わっていくのかもしれない、なんて楽観で今日も開き直って生きている。
カモメ/野狐禅
空と回転
PONKOTSU-BARON project 第2弾 『回転する夜』
を観劇してきた。
海沿いの田舎町に住む引きこもりの青年と兄夫婦、幼馴染たちの話。
後悔している出来事を夢の中で何度も何度も回転し、繰り返して、真実を知る。
話の中で明らかになること以外にもかなり考えられて作られている脚本で、あの時の行動、些細な仕草、言葉の意味は……といくらでも深く考えられるような舞台だった。
私が大学で陶芸コースに所属していた頃のとある先生は、以前は髪をロングヘアーにしていたという。轆轤を回していたら土に髪の毛がくっついてしまって巻き込まれ、そのまま顔面が土にめり込み、呼吸が出来ず死にそうになったのだそうだ。
回転するものには、巻き込まれないよう充分注意しないといけない。
そこには大きなエネルギーがあるのだから。
海沿いの田舎町で、引きこもりの話というと私はどうしてもKNOTS氏の漫画や楽曲が思い出されてしまう。
KNOTS氏は自身も山口県の海沿いにある田舎町に住んでいた人で、『田舎の大学生』『海沿い』など、田舎や海をテーマとした楽曲を多く生み出している。
舞台『回転する夜』は流れる空気の重たさと、最後に真実を知って以降の爽やかさの対比が美しい作品だった。
その重い空気感と爽やかな後味はKNOTS氏の漫画『あたらしいとし』を思い起こさせた。
氏の作品では『ソラミちゃんの唄』という、田舎の引きこもり浪人生の漫画があるが、こちらは設定・エピソード的な重さはあるものの、常に仲間、友人がいて、年齢的にも若く爽やかさが強い。
この漫画のテーマ曲である『スカイゲイザーズ』を聴いても、その爽やかさがそのまま表現されている。
誰もが悩んで、傷を抱えて、それでも生きている。
後悔して回転するか、言えないことを空に歌うか。
立ち止まる時、どちらを選ぶのもきっと正しい。
そしてどちらもそこには大きなエネルギーが発生している。
自分の心に絆創膏を貼るための作品を作るのも、それを人に見せることも難しくて恥ずかしいけれど、少しでも前に進むためにはきっと必要だ。
恥ずかしがらず、拗ねず、諦めず、表現を続けよう。
スカイゲイザーズ/KNOTS
バスに乗る
夜行バスに乗る時にはいつも思い出す曲がある。
「長距離バスの窓の外にどこまでも君が手を振る」
秋元康の歌詞にはバスがよく出てくる、という話があったが、野猿の時からそうだった。大抵少し寂しくて切ない、別れの曲である。
ただ、窓の外にどこまでも君が手を振る、という状況を真面目に考えたらちょっとホラーだ。
幻覚だとしてもそれに手を振り返しているので、隣の人は相当怖い思いをしたことだろう。
遠距離恋愛をしていた頃には、彼がバスに乗るのを見送りに行くことも度々あった。
乗り込む彼に手は振ったが、どこまでも追いかけるなんてことはできなかった。
そもそも難波のバス乗り場は屋内で、見送りの人がバスを追いかけられるような場所ではない。
今でこそ夜行バスでは「車内での飲酒禁止」「酔っ払いは乗車お断り」といった内容の放送を流しているが、昔はずっといい加減だった。
眠れない車内で無理やり寝るためか、飲酒をするような人も偶にいたのだ。
通路を挟んだ少し前の席で、テディベアを小脇に抱えたロリータファッションの可愛いお姉さんがおもむろにチューハイのロング缶をプシュッとやりだした時には流石に驚いた。
細くて可愛らしいお姉さんがロング缶……夜行バスの車内で。
その時二十歳そこそこの大学生だった私にとってはかなりの衝撃だった。
ついこの間それを思い出したのは、阪神電車の車内でクールなお姉さんがスミノフアイスの瓶にストローを挿して飲んでいたのをみた時だった。
バーコードのところにセブンイレブンのテープが貼られた瓶を持ったモデルみたいに綺麗な女性……その姿は異様にキマっていて、二十代半ばの私にもなんだか衝撃だった。
公共交通機関での飲酒は性別年齢問わず褒められたものではないのに、美人がやっていると不思議とどこか胸がすくような気持ちになってしまう。
真似するつもりもないけど、たとえ真似しても私は酒にそんなに強くないしすぐに赤くなってしまうのできっと全然格好がつかない。
そもそも全く美人じゃないし、ただの迷惑でみっともない酔っ払いにしかならないだろう。
かといって、長距離バスで去っていく男性にどこまでも手を振っていられるような女性にも、きっともうなれないのだ。
今日も一人でバスに乗って、1泊4日の短い旅に出る。
Thank you/野猿
- アーティスト: 野猿,秋元康,後藤次利,田原音彦
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テイクオフ
「勉強をすれば選択肢が広がる」と教師に言われた記憶はあるが、広がった選択肢からどうやってひとつ選択すべきか、ということをちゃんと教わった記憶はない。
勉強にさほど真面目でもなかったけれど、色々なことを知るのは好きだ。
なんとなく広がっていく選択肢を収束することができないまま、ここまで来てしまった。
そんな自分もそう嫌いじゃないのが私のどうしようもないところなんだけど。
中途半端に色々手をつけて、どれも割と楽しいし自分なりにそこそこは出来て、でも色んな理由で続かない。
続けるって凄いことだ。何かしら続けられる、続けているものを持ちたい。
とりあえず下手でもちょっとでもいいから何か書いて、続けよう。
そう思った時に思い出したのが、ウルフルズのベーシスト、ジョン・B・チョッパーこと、黒田としひろ氏のことだった。
黒田氏の著書「風に吹かれている場合じゃない」は、氏がウルフルズを脱退し、4年後復帰するまでの間に書かれたエッセイ集だ。
毎回その時の気分に合った一曲を紹介、というか(時にちょっと無理やり感もありつつ)絡めたエッセイになっている。
私も趣味は偏っているが、音楽を聴くのは好きだ。
全く偏りすぎていて、ぴったり同じ趣味の人は世界に二人といないだろう。鑑賞するものに関していつも私は一点集中深掘り型なのだ。作るものは飽きっぽいのに!
真似してもきっと同じものにはならないだろうから、真似した形式で始めてみよう。
尊敬を込めて、ジョン・B氏の曲で。
今日の私も風に吹かれている場合じゃないんだけど、やっぱりずっとふらふらしている。
そろそろちゃんと根を張る場所を探すために、くるくるせわしなく飛ぼう。
26歳の私はまだ始まっても終わってもないまま、夢さえもまだ見れずに、それでもなぜかお気楽に淡い希望を持ちながら生きている。
まだ始まっても終わってもない/ジョン・B&ザ・ドーナッツ!