笑い話には、まだ
大きな災害で住んでいる土地が大きな被害に遭ってしまった、ということを
私は、世界がリセットされてしまったようなものだと捉えている。
うちの父親は昔酔っ払ったときに
「人生のリセットボタンは自分では押せないところにある」
と言った。
私の住む街は私が5歳の時にリセットされた。
それから私は被災地と呼ばれる場所で育った。
私にとっての懐かしい故郷は、瓦礫とブルーシートに覆われた、埃っぽいあの頃の景色だ。
それはきっと田舎で育った人が田んぼに囲まれた風景を懐かしむように、
私はあの頃の瓦礫の街を懐かしく思ってしまう。
きっとこれからいつまでもそうなのだろう。
どこか後ろめたさを覚えながらも、今もあの景色が愛おしい。
今はもうすっかり綺麗になって、別物になってしまったこの街も、
それはそれで愛おしいのだけれど。
どこかで災害が起こるたびにきっと誰かの世界がリセットされている。
私の世界だって、いつ二度目のリセットが来るかわからない。
世界はいつか突然リセットされるものだといつだって思っている。
『忘れない』なんてものではなくて、多分、私の思考の根幹にあの出来事がある。
世界とはそういうもの、という前提で私は生きているのだ。
バターで焼いた甘い幸せはいつまでも続かない。
それでもなるべく甘いのを味わって生きていたい。
続かないからこそ、甘いうちに、焦げないうちに。
まだ全てを笑い話には差し替えられないけれど、
だからこそ、いまの甘さを味わって、時間をたっぷり食べよう。
スリーピーバター/KNOTS